行 程 | 堅田駅前(午前10時出発)→野上神社→泉福寺→出島灯台 |
→堅田漁港→祥瑞寺→光徳寺→本福寺(昼食)→浮御堂 | |
→天然図画亭→解散(午後3時頃) |
【主な見どころ】 | |
野上神社 | 南北朝時代の悲運の武将・新田義貞の妻「勾当内砥侍」を奉る神社 |
泉福寺 | 元は天台宗の寺で、蓮如上人の教化によって観応2(1351)年、 真宗に改められた。 勾当内砥侍の菩提寺でもある。 |
出島灯台 | 琵琶湖がくびれて対岸が迫るこのあたりは、 明治8(1875)年に建てられるまで、 座礁や難破事故が絶えなかった難所であった。 灯台は高さ8mで、高床式木造。 |
祥瑞寺 | 応永年間(1394〜1428年)に、華叟宗雲禅師が開基した寺院。 一休和尚は宗雲禅師の弟子で、22〜34歳ごろにここで修行した。 芭蕉がこの寺を訪ねたのは元禄3(1690)年の秋。 そのときに詠みあげた句の碑がある。 |
光徳寺 | 伝説「堅田源兵衛の首」で有名。 境内には源兵衛親子の像がある。 |
本福寺 | 浄土真宗の寺で、創建は正和年間(1312〜1317年)。 芭蕉はこの寺に泊まり、多くの句を残した。 病で床にふせたときに詠んだ句が、 「病雁の 夜寒におちて 旅寝かな」。 当時の住職・明式は、近江蕉門最古参の門人の一人といわれる 千那で、境内に芭蕉や千那の句碑が建つ。 |
浮御堂 (満月寺) |
長徳年間(995〜999年)に恵心僧都が湖上の安全を願って 千体の阿弥陀仏を納めたのが始まり。 境内には、 「鎖明けて 月さし入れよ 浮御堂」 の句碑がある。 この句は元禄4(1691)年に、芭蕉が堅田で十六夜の月を 賞して詠んだもの。 |